以前のブログで掲載しましたが、歴史を学び直しています。
そのため、数年前から歴史に関する書籍を購読しています。
どちらかと言えば、日本史よりも世界史のほうが多いです。
世界史を学ぶのは、高校の必修科目で学習したとき以来です。
当時、私は世界史の科目が嫌いでした。
理由は、覚える範囲が広すぎて、言葉を細かく覚えなければならなかったからです。
(例:ソビエト→ソヴィエト)
時が経つにつれて、日本はよりグローバルな社会になっていきました。
これは、インターネットの普及が最大の要因だと思います。
通信機器があれば、世界の情報を瞬時に収集することができます。
私の仕事は、海外と直接関係することはありません。
そのため、どうしても国際情勢に疎くなってしまいます。
私は、知人に「世の中の中央を見ろ」と教えられました。
私は地方に住んでいるため、意識的に中央の情報を収集する必要がります。
国際社会も同じです。
意識して世界の情報を収集しなければ、取り残されてしまいます。
しかし、最新の情報ばかり収集していても、『現在、なぜこのような状況になったのか』を理解することができません。
過去があって、現在があり、そして、未来が続いていきます。
現在に至るまでの過去を知ること、つまり、原因や経緯を知ることができれば『あぁ、こういうことだったのかぁ』と、物事の理解をより深めることができます。
そこで、『あらためて世界史を学び直そう』と考えました。
もう一度『世界史』を学ぶ。
歴史について、”興味”、”好奇心”、”楽しい”、”おもしろい”といった表現をするのは好ましくないと思いました。
“人類の歴史は戦争の歴史”という言葉があるように、世界はつねに”人類の悲しい出来事”によって変化してきました。
それを”興味がある”とか”おもしろい”といった表現をしてしまうと、歴史で惨劇にあった人々を軽視しているような気がしてなりません。
ここ数年で、約20冊の歴史に関する書籍を読みました。
インプットしたことをアウトプットすることで、情報を整理することができます。
また、歴史は推理することがたくさんあります。
歴史上の人物の心情は誰にも解かりませんし、亡くなった人に尋ねることもできません。
たとえ口外しているとしても、本心で言っているともかぎりません。
このブログを読んでくださった方と歴史を共有することができれば幸いです。
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