写真は、もはや証拠にならなくなった

自由・雑記

かつて「写真」実をすものであり、物事の証拠にあるものであった。
しかし、現在はどうだろう。
写真を合成したり修正したりすることができる。
しかも、そういった加工技術は凄まじく、本物の写真と区別がつかないほどである。

Instagramなどにいわゆるアイコラ(=アイドル-コラージュ)が投稿されているのを見かけることがある。
加工している部分の境目がわからない。
フェイク画像を広げることができる時代なのに、それが伝聞ならば情報の真偽を確認するのはより困難である。

情報には憶測が飛び交う。
憶測がさも真実であるかのようにさらに飛び交う。
噂と同じだ。
“伝言ゲーム”という遊びは、何がおもしろいのか?」といえば、最初の人が話した内容が最後の人に伝わるまでに「どれだけ内容が違っているか」を楽しむことにある。
つまり、人の話というものは尾鰭がついたり省略されたりするのである。

SNSでよくあるのが切り抜きで動画である。
前後の内容を省いて投稿者の好きな部分だけを切り取った動画が流布される。
それを見た視聴者はそれだけが真実だと思い、次第に憶測が飛び交う。

「タイパ」という言葉が流行している。
タイム-パフォーマンスを省略した言葉だ。
とくにショート動画が好きな人は、この罠に陥りやすい。
ある部分だけを直視せず、その背景ひいては歴史をしっかりと確認しなければならない。

思い込み憶測勘違い…。
これらによって誤解が生じる。

真実とは何か?
自分でその物事を見聞きして実際に確認すること以外に他ならない。

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