2月7日は『北方領土の日』です。
昭和50年代に北方領土の返還運動が高まり、1981(昭和56)年に毎年2月7日を『北方領土の日』とすることが閣議決定されました。
北方領土の日を“2月7日”に設定した理由は、1855(安政元)年、江戸幕府とロシア(帝政ロシア)との間で最初に国境の取り決めが行なわれた“日露和親条約”が結ばれた2月7日に決定されました。
旧ソビエト連邦が択捉島へ侵略した8月28日に設定しないところが、いかにも日本らしいです。
北方領土は、択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島を合わせた4島です。
一般的に“北方4島”と称されますが、歯舞群島は文字どおり複数の島々がありますので、正式には4島ではありません。
天気が良ければ、別海町の野付半島や知床などから国後島を見ることができます。
私は、テレビ番組などで宗谷岬が映し出されると、いつも違和感を抱きます。
宗谷岬には、”日本最北端の地”と記された記念碑があるからです。
実際、私も宗谷岬を訪れたことがあります。
学校の授業でも習いましたが、日本の東西南北の端はどこでしょう?
最東端は、北緯24度17分・東経153度59分に位置する東京都の“南鳥島”です。
最西端は、北緯24度27分・東経122度56分に位置する沖縄県の“与那国島”です。
最南端は、北緯20度25分・東経136度04分に位置する東京都の“沖ノ鳥島”です。
最北端は、北緯45度33分・東経148度45分に位置する北海道の“択捉島”です。
日本の最北端は、”択捉島(えとろふとう)”なのです。
日本政府も、択捉島は日本固有の領土と言っています。
日本はロシアに北方領土の返還を求めていますが、日本自らが”日本最北端の地”と表記していては、ロシアの政府はどう思うでしょう?
おそらく、「日本は”宗谷岬を日本最北端の地”だと認めている」と思われても仕方ないのではないでしょうか。
もしかすると、日本人でも勘違いする人がいるのではないでしょうか。
宗谷岬に記念碑を建立した経緯はどうであれ、やはり、私は疑問に感じます。
みなさんは、どうお考えでしょうか。
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