国語辞典が妥協したら、言葉の正しい使い方ができなくなる

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私は言葉づかいを意識している。
「敬語を上手に使い分ける」という話ではない。
なるべく乱暴な言葉や流行語を使わないように気をつけている。
たとえば、「ウザい」「ヤバい」「クソ」「ワロタ」といった言葉である。
また、どちらの意味にでも解釈できそうな言葉の場合は慎重に使用するようにしている。

「ウザい」という言葉。
辞書には、①危険または不都合な様子、②大変面白いと感じる様子 と記されている。
つまり、どちらの意味にも解釈することができる。
相手によって自分が考える解釈と異なる場合があるので、できるならば使用しないほうが良い。

自分は正しい意味で言葉を使用しているが、相手が誤用の意味で言葉を捉えてしまうことによって、齟齬が生じたり認識のずれが生じたりすることによって、コミュニケーションが上手くいかなくなる。
私も完璧に日本語を使えている訳ではないので、その逆も然りである。

ところで、最近の辞書では、言葉の説明として誤用されている意味を掲載している場合がある。
数で圧倒されたのか、多数決なのか……。

誤用しやすい言葉として、「姑息」「敷居が高い」「煮詰まる」などがある。
「姑息」は、本来は「その場しのぎ、一時しのぎ」という意味であるが、「卑怯」という意味で使われることが多い。
「敷居が高い」は、本来は「後ろめたい」という意味であるが、「難易度が高い」という意味で使われることが多い。
「煮詰まる」は、本来は「十分に議論や相談などをして結論が出る状態になる」という意味であるが、「問題の解決処理に行き詰まる」という意味で使われることが多い。

「煮詰まる」について、ある辞書には、
① 長時間煮て、水分がなくなる
② 十分に議論・相談などをして、結論が出る状態になる
③ 時間が経過するばかりで、もうこれ以上新たな展開が望めない状態になる
という3つの意味を載せている。

何事も「転じて」しまうと、言葉の意味は次々と変わってしまう。
言葉が世間でどれだけ誤用されていようが、本来の意味だけを掲載しなければ誤用が加速してしまう。

語彙力を上げると、知識が増える。
知識が増えると、表現力が豊かになる。
表現力が豊かになると、自分の思いを具体的に伝えることができる。

私はブログを始めてから言葉を調べることが多くなった。
このブログを読んだ相手に、私の思いを誤解してほしくないからだ。
これも立派な社会勉強であり、生涯学習である。

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