性教育は、自分を守るための教育でもある

子育て・子どもの成長

年に1回、セミナーなどで性教育に関するセミナーや研修会などを受講している。

これまで私が受けてきた性教育とは、性または生殖器に関するものだけであったような気がする。
とくに、第二次性徴による体つきの変化による「男らしさ」「女らしさ」が表面化し、性ならではの生理的現象が出現する。
そして、それに抵抗感をもつ人もいるだろう。

しかし、最近の性教育はとても幅広い。
性教育は、上述に記載した範囲を超えて、自分を守るための教育でもあることを知った。

性被害のみならず、何かしらの被害に遭いそうなとき、自分はどのような行動をすればよいのだろうか。
No… 「イヤだ」「やめて」という。
Go… その場から逃げる、離れる。
Tell… 大人に話す。

日本の社会では、これまで「共有すること」を教えられてきた。
子どもの頃、友だちから「(おもちゃを)貸して」と言われたら、「いいよ」と返答し、貸してあげなるように育てられてきた。
そのため、「イヤだ」と断ること、自分の意見を主張するのが良くないことと認識させられてきた。
『イヤだ』というのは、相手から受けたその行動が嫌なだけで、相手そのものを否定しているわけではない。
断ることができなければ、自分の人生を搾取されるかもしれない。

また、日本では、『努力』を美徳とする風潮が未だに根強い。
そのため、『我慢さえすれば…』と考えがちになる。
その場から逃げる、離れるという行為が、高度な技術を要するものになってしまった。
嫌なことから離れることは、決して悪いことではない。
日頃から『人生』について考える癖をつけると、嫌なことや我慢をしている時間は、無駄な時間でしかない。

話すことも同様で、我慢や努力を美徳として考えているかぎり、他者へ困ったことを発信したり相談したりすることができない。
価値のある我慢や努力は必要であるが、価値のない我慢や努力はおそらく報われることはないだろう。

性教育とは、人として生きるために自分を守る教育でもある。

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